桑名の歴史 石取祭のルーツ
夏の桑名を象徴する祭りといえば、鉦や太鼓の音が町中に響き渡る「石取祭」。「日本一やかましい祭り」とも呼ばれ、ユネスコ無形文化遺産にも登録されているこのお祭りですが、そもそもなぜ「石」を「取る」祭りなのか、ご存じでしょうか。今回は、開催情報ではなく、石取祭がどのように生まれ、今の形になっていったのか、そのルーツをたどってみます。
桑名の総鎮守「桑名宗社(春日神社)」
石取祭の舞台となるのは、桑名の総鎮守として古くから崇敬されてきた桑名宗社。地元では「春日さん」の名で親しまれています。
桑名宗社は、桑名神社と中臣神社という二つの神社からなる、全国でも珍しい形の神社です。異なる二柱の神が同じ境内に鎮座することから、縁結びの神社としても知られてきました。また伊勢国一の鳥居としての格式を持ち、伊勢神宮とも深いつながりがあるとされています。社宝には、桑名ゆかりの刀工・村正の刀や徳川家康の座像、松尾芭蕉の短冊なども伝わっており、桑名の歴史そのものを物語る神社といえるでしょう。
もとは「桑名祭(比与利祭)」の一神事だった
石取祭は、実は最初から独立したお祭りだったわけではありません。桑名神社の大祭であった「桑名祭(比与利祭)」の中で行われる一神事が、そのルーツです。
記録をたどると、江戸時代初期の慶長年間(1596〜1615年)にはすでに「石取」に関する記述が見られるといい、その後、宝暦年間(1750年代)になって比与利祭から独立し、現在のような形の祭礼へと発展していきました。
なぜ「石」なのか。三つの由来説
石取祭という名前の通り、この祭りの核心は「石を取り、神社に奉納する」ことにあります。その由来には、いくつかの説が伝わっています。
- 石占の習俗説:石の重さや、投げたときの落ち方によって神意を占ったという説
- 社地修理説:桑名宗社の社地が低湿地であったため、氏子たちが町屋川(員弁川)から石を運び、社地に敷き詰めたという説
- 馬場修理説:比与利祭で行われていた流鏑馬神事のために、馬場を整備する目的で町屋川から石を運んだという説
いずれの説にも共通するのは、氏子たちが町屋川で身を清め(禊)、洗い清められた栗石を運んで社地に奉納するという行為です。桑名の先人たちは、石を「生きて成長するもの」「永遠性を持つもの」と考え、そこに神霊が宿ると信じていました。石取祭は、桑名の氏人たちの祖先を祀り、神を迎える準備を整える神事として、今日まで受け継がれてきたのです。
「日本一やかましい祭り」へ
現在の石取祭は、鉦や太鼓を積んだ「祭車」が町中を練り歩く勇壮な祭りとして知られ、毎年8月の第一土曜・日曜に行われる伝統行事です。その音の大きさから「日本一やかましい祭り」と称され、毎年多くの人出で賑わいます。国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産にも登録されました。
まとめ
- 舞台は桑名の総鎮守・桑名宗社(春日神社)。桑名神社と中臣神社からなる珍しい神社
- 石取祭はもともと「桑名祭(比与利祭)」の一神事で、宝暦年間(1750年代)に独立
- 起源は江戸時代初期の慶長年間までさかのぼるとされる
- 「石を取る」由来には石占・社地修理・馬場修理など複数の説がある
- 石には「生きて成長する」「神霊が宿る」という信仰が込められている
- 現在は国の重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産(山・鉾・屋台行事)に登録
鉦や太鼓の音の裏には、桑名の氏人たちが祖先や神とともに歩んできた長い歴史があります。今年の石取祭を見る際には、ぜひこのルーツにも思いを馳せてみてください。なお、今年の開催日程やアクセスなど最新情報は、桑名宗社の公式サイト等でご確認ください。