桑名の歴史 桑名空襲と「平和の鐘」
毎年7月17日の夕方、桑名の市街地のあちこちから、静かに鐘の音が響きます。これは市内の複数のお寺で一斉に撞かれる「平和の鐘」。じつはこの日は、桑名にとって決して忘れてはいけない日なのです。今回は、桑名の街を焼きつくした「桑名空襲」と、その記憶を今に伝える取り組みについてまとめてみました。
桑名空襲とは
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、桑名市は1月から7月にかけて6回にわたる空襲を受けました。なかでも被害が甚大だったのが、7月17日の大空襲です。
桑名市の公式サイトによると、桑名空襲全体で死者は657人、全焼した家屋は6,950戸にのぼり、罹災した地域は市域の91%、実に全市民の約7割が焼け出されたと記録されています。市役所や桑名駅、商店街はもちろん、東洋ベアリング・三菱重工業・山本重工業といった工場、そして春日神社(桑名宗社)や海蔵寺などの寺社までもが焼きつくされました。
7月17日の空襲について、桑名市内で毎年続けられている追悼企画のチラシでは「市街地域の77%が破壊され、390人が死亡し、735人の負傷者を出した」と伝えられています。桑名の街のかたちそのものが、一夜にして変わってしまうほどの被害でした。
※空襲の被害者数は、対象とする期間(7月17日だけか、6回の空襲すべての合計か)や資料によって数字が異なります。この記事では桑名市公式の記録を主軸に、あわせて追悼企画で伝えられている数字も紹介しています。
焼け野原からの復興
戦争が終わると、桑名の街は焼け野原からの再出発を迫られました。復興事業が始まったのは1946(昭和21)年。国道1号線を幅30メートルに拡げ、幹線道路を整えるといった大規模な区画整理が行われ、1966(昭和41)年、実に20年もの歳月をかけて復興が完成しました。
今わたしたちが歩いている桑名の広い道路や街並みには、この復興の歴史が刻まれているのですね。
記憶を伝える「平和の鐘」
桑名空襲の記憶を風化させないために続けられているのが、「平和の鐘」の取り組みです。「この日を忘れないこと」、そして「平和がこれからも続くこと」を祈って、16年ほど前から毎年7月17日の夕方に、市内のお寺で一斉に鐘が撞かれてきました。
2026年で16回目を迎えるこの企画では、7月17日(金)の午後6時から、市内の10の寺院で平和の鐘が撞かれます。ウクライナやガザ、イランなど、世界で戦争が続くなか、平和への願いはいっそう切実なものになっています。
平和の鐘を撞く寺院(2026年)
寺院 | 所在地 |
|---|---|
桑名別院・本統寺 | 北寺町 |
常信寺 | 南寺町 |
佛眼院 | 南魚町 |
西恩寺 | 八幡町 |
慈航寺 | 松ノ木 |
十念寺 | 伝馬町 |
専明寺 | 東方 |
円通寺 | 江場 |
勧学寺 | 走井山 |
伝西寺 | 星川 |
※例年参加している大福田寺は、本堂の改装工事のため2026年はお休みとのことです。
この企画は「桑名九条の会」が主催し、「劇団すがお」が協力しています。
豆知識:焼けたお寺と桑名の祭り
桑名空襲では、桑名総鎮守である春日神社(桑名宗社)も被害を受けました。ここは「日本一やかましい祭り」とも呼ばれる石取祭が奉納される神社としても知られています。戦火をくぐり抜けて再建され、今も夏になれば祭りの鉦(かね)と太鼓が街に鳴り響きます。追悼の「平和の鐘」と、活気あふれる祭りの音。桑名の夏には、街の歴史を物語るさまざまな「音」が息づいているのです。
まとめ
- 桑名市は1945年1〜7月に6回の空襲を受け、とくに7月17日の被害が大きかった
- 桑名空襲全体で死者657人、全焼家屋6,950戸、市民の約7割が罹災した(桑名市公式)
- 焼け野原からの復興には20年の歳月がかかった(1946〜1966年)
- 空襲の記憶を伝えるため、毎年7月17日の夕方に市内の寺院で「平和の鐘」が撞かれている
- 桑名の街並みや祭りには、戦災と復興の歴史が今も息づいている